北海道日帰り温泉の旅

 

 

平成24年8月19日

August 19, 2012

 

美瑛町開拓の最初の鍬が入れられた旭から戦後開拓の歴史を持つ美瑛町の五稜へ

美瑛町旭地区は現在では旭川の一部の地区より旭川市中心部 に近く、また東神楽町の旭川空港とは殆ど接するほどの距離にある。

拓魂百年の碑は国道237号線で美瑛方面に向かい西神楽駅 を過ぎて間もなく旭、五稜方面の標識に従い右折数百メートルの

小さな集落の外れに建てられている。

 



旭拓魂百年の碑

碑文

我が郷土旭は、明治27年9月、兵庫県より小林直三郎氏外 3名が、新天地開拓の夢を抱き、この地に入植したことから始まる。

老樹空を掩う、昼なお暗い鬱蒼たる原始林を切り開き、地を 覆う熊笹の根を掘り起こし、黒い大地に感動しながら卓越した識見

と、抜群の指導力を備えた、弱冠24才の小林氏を中心に、 幾多の冷災害や、動揺する人心を纏めつつ、着々と基盤造りが進

められた。農場の経営が、板谷商船に移ってからも、有名な 小作争議等を含め、血と汗と涙の中から、次第に愛郷心が育まれて

いったのである。今日の旭の礎を築かれた、先人の偉業を称 え、これを受け継がれた人々の遺徳に、深甚なる謝意を捧げ、ここ

に、開基百年を迎えるにあたり、百余戸の住民と、所縁の人 達の願いを込めて、由緒あるこの発祥の地に、記念碑を建立し、

培われてきた開拓魂と、人間味豊かな郷土愛の精神を、永く 後世に継承すると共に、ふる郷旭の、悠久の札幌市西区平和と繁栄

を願って止まないものである。

平成六年九月吉日

旭開基百周年記念事業協賛会

 

美瑛町発 祥の地の碑 

 

美瑛町水 田発祥の地の碑 

 

 

 

 

 

碑の付近にはこんなものも残されていました。

 

旭地区は辺別川と美瑛川の合流地点から両河川の間を放射状 に広がっています。

 

 

 

 

 

旭から五稜に向かう狭い山あいもまだ旭地区なのでしょう が、廃屋が目立ちます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旭第6会館となっていますが、かなり荒れ果てていました。

 

 

 

山道を下って美瑛川を渡ると旭地区です。規模の比較的小さ い水稲農家が続いています。

 

 

 

五稜第一開拓記念公園

 

五稜第一開拓記念塔

 

 

 

五稜第一の歩み

昭和二十二年  大阪十四戸樺太十一戸道内三戸入植

同二十三年  五稜行政区誕生

同二十五年  美田五稜の通学区域として美田小中併設校と して開校

同三十三年  五稜地区に電気導入

同三十六年  阪和神社を美田神社に合祀する

同四十二年  農村集団自動電話開通

同五十一年  美田中学校閉校。美瑛中学校に統合

同五十一年  五稜第一会館新築

同五十九年  五稜開拓舗装道路完成

同六十一年  公園用地取得

同六十一年  開基四十年記念塔建立

 

 

 

 

 

 

 

 

 

美田神社

美瑛町の五稜第一の阪和神社が合祀されているのはこの神社 でしようか。

 

酪農の盛んな美田地区には乳牛感謝の碑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

美瑛町開拓の最初の鍬が入れら れた旭から戦後開拓の歴史を持つ美瑛町の五稜へ

美瑛町 置杵 牛開拓百年記念碑 旧置杵牛小学校

美瑛 町 下宇莫別 本勝寺の洪水殉難者追悼碑

旭川市 旧就 実小学校と就実開拓記念碑 美瑛町 横牛開拓百年碑

 

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