北海道日帰り温泉の旅

 

平成24 年7月21日

July 21, 2012

 

初山別村  初山別温泉ホテル岬の湯への旅

今回の旅は旭川発、和寒から名寄国道を外れて545線で剣 淵、温根別、添牛内、霧立経由で初山別へ。北海道内の
屯田兵入植の最後になる剣淵士別屯田兵の拓いた剣淵町を通過する際、剣淵小学校門横に巨大な石碑を認め立ち寄り。


 

    

兵村碑には明治 32年に京都府他34県から志望者337名が入植し。飲料水に困窮したこと。公有財産を処分して用水路を整備したこと。

明治 37年に日露戦争に応召殉難者二十有六名。<別の資料では日露戦争全員出征し戦死22名、戦病死5名>開村30年で、水田600町歩、圃1300町歩となったこと

などが印されていると思われるが剣淵の小学生は漢字が得意なのかな。

 

 

 

続いての立ち寄り は地図上では交通の要衝添牛内地区。

幌加内町立添牛内 小学校は大正3年4月1日開校、平成12年3月31日閉校とのことだ。
 

 

 

 

 

 

 

 

学校は閉校になっ たとは言え、昭和25年の建築物がそのまま残されているのも変化の早いこの時代に逆に素晴らしいことだと感じます。

贈った高橋法隆さ んも本望ではないでしょうか。地元で事業に成功をおさめた方だったのでしょうかね。

 

現在の添牛内地区 に僅かの人家は見受けられるものの過疎が極限となり、手打ちそば霧立亭が大きく目に付くばかりでした。



添牛内を出てから の霧立国道<国道239号線>は人家の全く無い山林を貫く。この日も鹿さんとニアミス発生。

 

霧立峠のパーキン グエリアには新保福治氏顕彰の日碑が建てられている。

 

 

 

 

碑文

新保福治氏は二十 八歳にして苫前村長となの翌大正十年には早くも士別ー苫前間道路開さくの一大構想を持ち自ら踏査を行い運動を続け

その熱意は遂に 実って昭和三年拓殖道路として着工されるに至った昭和二十二年再び公選尊重として迎えられ若き時代の着想士苫の完成

に情熱を燃やし工 事の再開に尽力される

その間昭和二十二 年には町制を施行し初代町長となり二十六年四月道議会議員に当選す工事着工以来三十七年青年村長新保福治氏一生

の夢は日本海と道 央を結ぶ延長八一粁六00一般国道二三九号として貫通されたのであるこの喜びの日竣工式をトし新保福治氏の偉大な

業績を讃え顕彰の 碑を建立す

昭和四十年七月十 七日

苫前町長川村秀治

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのⅠ
そ のⅡ
そ のⅢ

 

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