北海道日帰り温泉の旅

 

 

平成24年12月30日

December 30, 2012

 

雨紛囃子の生まれた旭川市神居町共栄(旧神居村共栄)

 

雨紛囃子の生まれた旧神居村共栄は雨紛から更に山深い地域 に進んだところに広がる上雨紛の平地に続く山林地帯で、現在はやっと拓かれた耕地の多くがうち
棄てられ自然に還ろうとしているところも多いようです。終戦直前最初にこの地に入植したのは、「拓北農兵隊」として募集され た人達にで、東京大空襲
で焼け出された者も多かったことから、「東京部落」と呼ばれたと「クマイザサの二十三軒・道新選書」には記されています。お よそ農業には適さない
地域であったことや、終戦の混乱で当初計画のように国の支援も受けられず、悲惨な開拓生活の中で最終的には殆どの人がこの地 を離れたようです。

 

雨紛囃子はこうした開拓生活の中で生まれ、「東京部落」の 子供たちだけの芸事が、担い手の減少とともに既存農家の子供たちに受け継がれています。
先に訪問した雨紛神社の 鳥居に刻まれていた「新居寅雄」 の名は上記「クマイザサの二十三軒・道新選書」に出てくる東京部落の新居寅雄であろうと思
われます。同様、雨紛囃子保存会長原口貢の名もそこに刻まれています。

 

 

 

 

 

 

旭川市神居町雨紛  雨紛神社

旭川市神居町  富沢神社

旭川市神 居町豊里 豊里神社と豊里開基百年記念碑


拓北農兵隊の入植した旭川市神居町雨紛 東京部落の現在

 

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