北海道日帰り温泉の旅
平成24年9月15日
September 15, 2012
東川町阿波団体と富山団体
東川町の歴史はなんとなく大きな河川忠別川沿いに始まった ように感じますが、実は牛朱別川の支流倉沼川沿いに始まったようです。倉沼川沿い東旭川よりのところに阿波団体が入植し、
現在のキトウシ森林公園に近い部分に富山団体が入植してい ます。富山団体から倉沼川に沿ってどんどん進むと上岐登牛になり、このあたりになると山間の地になってきます。
上岐登は東川町内でも最も山間部ですが、都市部からの移住
組も多く、また北の住まい設計社のカフェ&ベーカリーなどのおしゃれなスポットも存在します。
東川町の地域に入植の歴史をそのままの阿波団体と富山団体 があり、今回はその歴史の跡を探して探訪。阿波団体には団体長岡本篤太郎氏碑が建立されてました。
東川町有形文化財の表示があった。
明治28年の阿波団体入植は8戸と記載されているものもあ
るので、開拓者数と一致しないが、世帯としては8戸だったということだろうか。
東川町指定有形文化財岡本篤太郎碑修復
平成三年三月
第三区及び第十四区行政区の二十六名により岡本篤太郎碑修 復委員会を設立し関係者の篤志浄財及び東川町の支援等により修復する
と記載されているが、建立年は不明だった。
倉沼川は山沿いを右から左に流れています。
こちらは阿波団体富山団体とは関係のない写真ですが、キト ウシ森林公園の中にあって往時を偲べる建物です。大正14 年建築とのことです。
阿波、富山両 団体の地域に残る古い建物に似たような形はありませんが、出身を感じさせる面白い造りもあって、眼を引きます。
北栄の礎
北栄の礎碑文
本地区水路は、昭和四十一年から四十三年までに富山団体、 阿波団体格地区の基盤整備事業により築造された水田一七七ヘクタールがかんがいする用排水路であるが、通水部分の破損が著し く
、かんがいに支障が生じたため、昭和五十六年、道営事業に より改修工事に着手し、昭和六十二年に完工した。ここに、蘇えった、本かんがい施設が、幾久しく豊穣の礎となることを念じ完 工記念碑
を建立する。
昭和六十二年十二月吉日
東川土地改良区
東川町富山神社
富山神社沿革碑
明治二十八年佐々木定多氏を団長に富山県人二十戸が北海道
開拓の大望を抱きこの地に入植した とあります。
東川町阿波団体と富山団体