北海道日帰り温泉の旅

 

 

 

 

 

 

平成24年7月29日

July 29, 2012

 

旭川市東旭川 旭川神社と兵村記念館

旭川屯田会 百年記念碑

 

 

旭川屯田会会員の名が連ねられている。士別屯田などでは、除隊後各地に散らばってしまったとのことだが、この地では地元に根を張る人が多かったのだろうか。

 

東旭川開村記念碑

 

東旭川開村記念碑訳文

屯田兵四百人人にその家族二千有余人。入植したその年に尋常小学校二校を興し、翌年尋常高等校として兵村中央に置いたとある。

開拓に入った各地の歴史の最初は先ず何をさておき、教育だったようです。

アメリカ合衆国の入植では先ず教会だったそうですが、屯田兵初め北海道開拓の先人は先ず、学校ついで神社とーの順番になっているところが多いように思います。

 

東旭川土功組合記念碑

土功組合費は税金と同じような支払い義務があって、各地の水田開発に土功組合の果たした役割はとても大きいようです。

 

町の名称<旭川>を忠別市街地に譲ったものの、学校と神社の名称だけは残され旭川中学校も東旭川にある。

ちなみに旭川第一小学校、旭川第一中学校<現在は閉校となっている。>は東旭川の旧ペーパン地区にある。

 

 

 

旭川神社神迎える楡

迎えるの漢字が間違っていた。神様の樹木だけに気合が入りすぎてしまったか。

 

 

 

 

 

顕勲神社(境内社) 大正四年建立護国神社と称し、戦後「顕勲神社」と改称されたそうだ。

日露戦争から大東亜戦争にいたる戦没者413柱が祀られている。

 

沖縄県石垣島近海から引き揚げられたゼロ戦のプロペラが展示されていた。

 

 

 

 

 

旭川兵村記念館

感動的な陳列品の数々である。屯田兵共用の井戸が展示されており、100年以上前の敷き詰められていた炭がのこっていたようです。

金気の多い水で飲用に適さず苦労した模様が解説されていました。

現在の東旭川駅裏の龍の湯温泉は真っ赤な単純鉄冷鉱泉。屯田兵とその家族はこれで苦しんだようです。

日露戦争から帰って、殺した敵兵の死に際が頭から離れず、本願寺で修行、得度し鹿追町瓜幕に転地し説教所を開いた現在の浄教寺開山住職坪野誓源さんの紹介も興味深いものでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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