北海道日帰り温泉の旅

 

 

 

 

 

 

平成24年7月22日

July 22, 2012

 

苫前町古丹別から三毛別羆事件のあった三毛別 川上流へ


作 家吉村昭が「熊嵐」という小説で世に知らしめた三毛別熊事件の跡地を訪ねた。

古 丹別から三毛別川沿いに上流に向かうと間もなくやや広い水稲地帯が広がり、

無 人の社があった。九重と呼ばれるこの地域は明治29年三重の団体が

入 植して切り拓いたと印されている。


 

 

 

 

 

 

 



上流に遡るにつれ耕地面積き狭まり山が迫ってくるが、九重地区よりさらに10キロ以上奥の地域が三渓地区 で、閉校になった三渓小学校の一部が残されていた

 

 

 

そ れでも明治40年の開校だから、九重地区に遅れること10年ほどでこの地域に人々が住み着い ていたことになるだろうか。

 

 

 

 

 

三 渓小学校の向い側に三渓神社があって、熊害の慰霊碑があった。

 

 

 

熊 退治に生涯を捧げた大川春義さんが、40年をかけて熊100頭退治の悲願を達成し部落会の協 賛を得て建立したものらしい。

 

 

 

 

碑 文

こ の度、生涯をかけての悲願たる熊百頭退治の目標を達成し得たるを以って、犠牲者各位に奉告申 し上げ謹んで 慰霊の誠を捧げると共に、

地 域の被害絶滅に多少の貢献を為し得たるは、偏に三渓部落は勿論、全町挙げてのご支援と関係各 位の絶大なご協力に外ならぬ処にして、

併 せて深甚の謝意を表せんと欲す

思 うに世界害獣史上かって類例をみざる残虐な熊騒動に依り当部落開拓の先人七名の方々の尊い犠 牲を目前にして当時七歳の子供心にも

惨 事の再来を防ぐ為一生を賭して熊退治に専念し、以って部落の安全を維持するは己に課せられた 責務ナリと確信し深く決意せり、先ず

二 十一歳にして狩猟の許可を得、尓来四十数年営々として初志の完遂に努め幸いにして、本年5月 三日遂に百頭の目標に到達し一生の

悲 願成就満足す、感激惜く与わざるものあり

依っ て茲に本碑を建立し以て慰霊と万端の報謝に疑す

乞 い願わくば各々霊位来たり享けよ

維 時昭和五十二年七月五日建之

施 主大川春義敬白

部 落会協賛


 

 


碑文

当部落ハ明治三十八年七月五日帝室林野管理局ヨリ貸下地トシテ開墾事業ニ従事ス爾来幾多の困難を克服シ開拓の

実ヲ挙ケ現在ノ楽土ヲ建設セラレタ ル先人ノ偉業ヲ讃ヘ遺功ヲ偲ビ開拓六十周年ヲ記念シテ本碑ヲ建立ス

昭和四十年九月十五日

三渓部落会一同


 

 

 

 

 

 

 



当 時の開拓農家の建物が再現されている。

 

熊 の襲撃の前にはひとたまりも無い建物だったことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



大正6年熊に襲われ て命を落とした素人相撲の人気者丸田吉次郎の供養のため建立されています。
上富良野町東中  丸田吉次郎供養地蔵尊



大正7年6月9日現地通過中巨大羆に笹薮に引き込まれ絶命した菅野光民殉難之碑はこちらでご覧ください。

平成23年9 月18日    新得町 トムラウシ温泉 東大雪荘



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