平成24年7月16日
July 16, 2012
旭川市東旭川米原 北海道農民組合運動発祥地の碑 拓きし路の碑 拓魂を継ぐの碑
神楽村農民の闘争は良く知られているが、この地の農民組合運動はいったいどのようなものであったのか。
東旭川から米飯川をさかのぼる山あいのペーパン地区<現在の米原、瑞穂地区>に旭川第一小学校、中学校があるのも先人が困苦の中で教育に力を注いだ歴史を物語っているのかも知れません。
拓きし路の碑
碑文
明治三十一年5月福島団体は百二十八戸を募り第一陣五十三戸が祖先伝来の地大田村と別れ北夷
の新天地を目指し出発東旭川村上ペーパンに移住す空を覆う密林に挑み耕地を拓く洪水冷害のため
一物の収穫なし第二次移住に憂慮あり翌年困苦の中で簡易教育所を開設打ち続く艱難辛苦の闘い同三
十六年笹の実で窮状を脱す
宮城 越中 上 下南部の各団体 高田 南 滝波 香川 倉本各農場 農耕地相次ぎ開設す
入植十数年人力で山頂まで六百余町歩開墾地域は四百戸を越え部民二千有余名事業を興し澱粉色豆
除虫菊ハッカ等で賑わう
昭和十二年字名改正で米原 瑞穂と呼称す同二十年太平洋戦争末期国は緊急拓北農兵隊を募る
瑞穂奥地に東京部落入植後戦後開拓始まる 外地引揚者復員軍人等相次ぎ六十数戸入植 農地改革
実施され耕作農民の地位安定図る
地区の道路は改良舗装され圃場は整備し機械化が進み営農条件整う世情は農村を過疎と高齢化へ
押し流す 全地区挙げて誘致せる二十一世紀の森は大雪山連峰に融合湯煙ペーパンダムの湖面に映ゆ
幾星霜開基百年を迎え先駆者の苦悶と血涙開拓魂による「拓きし路」の偉勲をしのびここにその
遺徳を後世に伝え記念とす
平成九年九月四日
拓魂を継ぐの碑
福島団体記念碑の第一陣入植者筆頭以下四名の大橋姓があるので、その子孫の方が拓魂を継ぐの碑の用地を寄贈したのでしょうか。
地区の入植は東旭川の屯田兵に遅れること6年と言うことになろうか。
二十一世紀の森に続く瑞穂の奥地。戦後開拓された土地であろうか、現在は荒れた土地が目立つ。
耕地の条件も奥に入るにつれ厳しくなるのでしょう。
旭川市東旭川 拓源の碑
旭川市東旭川米原 北海道農民組合運動発祥地の碑 拓きし路の碑 拓魂を継ぐの碑
旭川市東旭川米原 旭川市指定文化財養蚕民家T
旭川市東旭川米原 旭川市指定文化財養蚕民家U
旭川市東旭川米原 太田神社